大判例

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東京地方裁判所 平成8年(ワ)6998号 判決

原告

高橋康宣

外一名

右原告両名訴訟代理人弁護士

破入信夫

石山治義

御器谷修

被告

右代表者法務大臣

長尾立子

右指定代理人

加島康宏

外二名

被告

千葉県

右代表者知事

沼田武

右訴訟代理人弁護士

岡田暢雄

今西一男

山本正

杉山憲広

右指定代理人

三森辰雄

外六名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

一  原告らの請求

被告らは、原告高橋康宣に対し五〇〇万円及び原告高橋佳子に対し五〇〇万円、並びに右各金員に対する平成八年四月一九日(訴状送達の日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの主張

原告らの主張は別紙のとおりであるが、これを要するに、原告らは、原告らの息子が道路に横臥していた際、センターラインを完全に越えてきた加害車両に轢かれて死亡した交通事故につき、(一)被告千葉県所属の警察官が、唯一の目撃者が指示説明した轢過地点とは違うセンターライン寄りの場所を轢過地点とする誤った図面を添付した実況見分調書を作成したこと、(二)被告千葉県所属の警察官が、右目撃者の供述調書を作成した際に正確な轢過地点を記載した図面を作成添附しなかったこと、(三)被告国所属の検察官が、多量の血痕が残された地点などから真実の轢過地点を容易に判断できるにもかかわらず、右の誤った実況見分調書の目撃者の指示説明箇所を前提にして安易な略式起訴をしたこと、(四)その結果、原告らが右交通事故の加害者らに対する損害賠償請求訴訟において加害者側に有利な右実況見分調書等の信用性を覆すために原告一人当たり五〇万円の鑑定料の支出を余儀なくされたこと、(五)多大な労力を要する立証活動を余儀なくされたことによって原告一人当たり慰謝料二〇〇万円相当の精神的損害を受けたこと、(六)加害者に対する処罰が不当に軽い略式起訴にとどまったことによって原告一人当たり慰謝料二五〇万円相当の精神的損害を受けたことを主張し、国家賠償法一条一項に基づき、原告それぞれにつき各五〇〇万円と遅延損害金の支払を求めるというものである。

三  被告らの主張

被告らは、後記の最高裁判所判例等を引用して、原告らの主張する利益は反射的にもたらされた事実上の利益にすぎず、法律上保護された利益ではないから、原告らの本訴請求は国家賠償法上の違法性の要件を欠く旨主張する。

四  裁判所の判断

そこで判断するに、犯罪の捜査及び検察官による公訴権の行使は、国家及び社会の秩序維持という公益を図るために行われるものであって、犯罪の被害者又はその相続人の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではなく、被害者又はその相続人が捜査又は公訴提起によって受ける利益は、公益上の見地に立って行われる捜査又は公訴の提起によって反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律上保護された利益ではないというべきであるから、被害者又はその相続人は、捜査機関による捜査が適正を欠くこと又は検察官の公訴提起の違法を理由として、国家賠償法の規定に基づく損害賠償請求をすることはできないというべきである(最高裁第三小法廷平成二年二月二〇日判決・最高裁判所裁判集民事第一五九号一六一頁)。

したがって、前記交通事故の被害者の相続人である原告らが、前記捜査及び公訴権の行使が違法であるとして、被告らに対し国家賠償法に基づく損害賠償を求める本件請求はいずれも理由がない。

なお、原告らは、右判例の国家賠償請求の制限的解釈は、公務員の行為が職務権限内にとどまる場合に限って許容されるべきものであるから、本件のごとく職務権限を逸脱している場合に右制限的解釈をすることはできず、具体的・個別的な職務権限を逸脱した違法行為により、原告らの各請求が制限されるべきではない旨主張するが、右の判例は、原告ら主張のような職務権限逸脱の事実があったとしても、犯罪の被害者(又は相続人)が直ちに国家賠償法上の損害賠償を求めることができないことを判示しているものと解されるから、原告らの右主張は採用することができない。

また、原告らは、(一)右判例の事案が公訴不提起という不作為について違法を主張していたのに対し、本件では警察官が誤った指示説明地点を実況見分調書に記載し、その誤りを是正しないまま検察官が公訴提起したという作為について違法を主張している点、(二)右判例の事案が、公訴不提起による精神的苦痛という抽象的損害を主張していたのに対し、本件では、民事訴訟の提起及び遂行に要した実質的損害を主張している点において、右判例の事案が本件とは事案を異にするものであり、被害者救済の見地からも、本件において国家賠償法上の損害賠償請求が認められるべきである旨主張するが、右事案の相違は前記の判断を左右するものとはいえず、また、原告ら主張の被害者救済は、原告らが現に遂行した民事訴訟の提起によって図られるべきものであるから、原告らの右主張も採用することはできない。

五  結論

よって、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大和陽一郎 裁判官齋木教朗 裁判官菊地浩明)

別紙請求の原因

一、交通事故の発生

(1) 訴外高橋吾郎(昭和四八年七月二一日生、以下「吾郎」という)は、次の交通事故(以下「本件交通事故」という)により、平成四年八月三一日午前四時一六分、順天堂浦安病院において脳底骨折等により死亡しました。

事故の日時 平成四年八月三一日午前三時四〇分ころ

事故の場所 千葉県市川市南八幡五丁目一〇番六号先の県道市川浦安線路上(別紙交通事故現場見取図参照。以下、同道路を「本件道路」といい、同図面を「別紙図面」という。)

加害者 訴外庄司正明(以下「庄司」という。加害車両を運転。)

加害車両 普通乗用自動車(習志野五三め一〇六九)

被害者 吾郎

事故の態様 ① 庄司運転の加害車両は、本件交通事故現場にさしかかる迄信号の変わり目に急発進をしたり、蛇行運転を繰り返したりする等乱暴な運転をしていました。

② 庄司運転の加害車両の全体が本件道路のセンターラインを完全に越えて対向車線に進入したため、同対向車線の路肩に駐車していた車両付近の路上(すなわち別紙図面a付近)にいた吾郎に加害車両右前部を衝突させて同人を轢過しました。

(2) 原告両名は、吾郎の父母であり相続人です。

(3) 本件交通事故の原因及び過失割合については、民事判決(東京地方裁判所平成五年(ワ)第一一九六四号損害賠償請求事件、以下「本件民事判決」という)は次のとおり判示しました。

「……本件事故の態様については、吾郎は、三島車両(別紙図面a付近の駐車車両)の右側後座席付近の路上において、足部を同車両側に向け、頭部を本件道路のセンターライン方向に向けて横臥していたところ、時速五、六十キロメートルで進行してきた加害車両が、吾郎の横臥する対向車線に車両全体が進入し、そのまま吾郎を轢過したものと認められる。

そうすると、本件事故は、制限速度を一〇ないし二〇キロメートル毎時超過して加害車両を運転し、前方不注視のままセンターラインを完全に越えて走行した被告庄司の過失によって生じたことは明らかである。他方、吾郎も本件道路に横臥していたのであり、対向車線を走行している車両がセンターラインを越えて横臥側の車線を走ることもあり得るのであり、特に、頭部をセンターライン方向に向けて横臥していたことから、そのような車両に轢過されて致命的な傷害を受けることは予想し得るのであり、吾郎の右行為も本件事故の発生の原因となっていることは明らかである。

……各事実を勘案すると、吾郎、被告庄司双方の過失割合は、吾郎の二〇パーセントに対し、被告庄司八〇パーセントと認めるのが相当である。」と。

二、公務員の不法行為

(1) 被告千葉県について

① 本件交通事故は、被告千葉県の市川警察署交通課員が捜査しました。

市川警察署司法警察員巡査部長宮内努及び同署司法巡査安藤浩一は、本件交通事故を適正に捜査し本件事故の事故態様を正確に把握すべく目撃証人から詳細な事実を聴取し本件事故状況を正確に実況見分すべき義務を有するところ、真実は吾郎が加害車両に轢過された地点が別紙a付近であるにも拘らず、平成四年八月三一日、故意又は過失により吾郎が加害車両に轢過された地点を別紙図面の×地点と誤った事実を記載した交通事故現場見取図及び同図を添付した実況見分調書を作成しました。

特に本件交通事故のほとんど唯一の目撃証人である藁谷邦彦が吾郎が轢過された地点を事故現場においては別紙図面のa地点と指示説明したにも拘らず、右宮内及び右安藤はこれを無視して右轢過地点を別紙図面の×地点と交通事故現場見取図に記載したことは明白な故意又は過失と言わざるをえません。

② 市川警察署司法警察官警部補江口雅海は、本件交通事故の目撃者である藁谷邦彦から本件交通事故の態様を十分聴取し、特に加害車両が吾郎を轢過した地点を右目撃証人の供述をもとに正確に把握し、右轢過地点を正確に記載した図面を供述調書に添付すべき義務があるにも拘らず、平成四年八月三一日、故意又は過失により右図面を作成することもこれを添付することもしませんでした。

特に右江口は、加害車両が本件交通事故現場から逃走していたためか犯人をさがすことが大事であり、吾郎が轢過された地点を特定することはさほど大事ではないと考え、本件交通事故の目撃者である藁谷邦彦の指示説明を無視してこれを別紙図面の×地点と記載した現場見取図の作成に加功したものであり、それは明白なる故意又は過失と言えるものと考えます。

③ 右①及び②記載の市川警察署交通課員のずさんな誤った捜査により、本件交通事故において吾郎が加害車両に轢過された地点は別紙図面の×の地点と誤った事実が交通事故現場見取図に記載され、且つ、この図面が実況見分調書と一体化された文書となったのであります。

(2) 国について

千葉区検察庁所属の検察官副検事羽良正睦は、本来本件交通事故において吾郎が加害車両により轢過された地点が別紙図面のa付近であるとの事実認定をし適正に起訴すべきところ、平成四年九月一四日、過失により吾郎が本件道路の「センターライン右前方(すなわち別紙図面×地点)に横臥」していたとの誤った事実認定をそのまま起訴状の公訴事実として記載し起訴状を提出し千葉簡易裁判所に略式命令を請求しました。

本件交通事故の具体的態様、特に別紙図面のア地点に多量の血液があったことから吾郎が加害車両に轢過された地点が別紙図面のaの地点であり、同図面の×の地点でないことは容易に認定できたにも拘らず、右羽良は、右(1)記載の状況により作成された交通事故現場見取図や実況見分調書や右現場見取図の添付もない藁谷の供述調書を安易に妄信し、吾郎が轢過された地点を「センターライン右前方」と記載した右起訴状を作成した行為はその裁量の範囲を明らかに越えた違法な行為であり、右羽良の過失に基づく不法行為であると言わざるをえないものと考えられるのであります。

三、原告らの損害の発生

(1) 原告らは、本件交通事故に基づく損害賠償を加害車両の運転手である庄司、加害車両の所有者である訴外有限会社ちばの友、右有限会社ちばの友が自動車損害賠償責任保険契約(強制保険)を締結していた訴外安田火災海上保険株式会社、右有限会社ちばの友が自動車保険契約(任意保険)を締結していた訴外住友海上火災保険株式会社(以下「加害者ら」という)に請求しました。

しかし、加害者らは、本件交通事故において吾郎が加害車両に轢過された地点は千葉県警市川警察署員作成の交通事故現場見取図をもととして別紙の×地点と強硬に主張し、また、検察官の起訴状の公訴事実の記載をもとにして、吾郎が「センターライン右前方に横臥」していたと主張しました。

つまり、加害者らは、本件交通事故の被害者である吾郎は本件道路のセンターライン付近に横臥していたのだから被害者の過失が極めて大きいと大幅な過失相殺を主張したものであります。

これに対し、原告らは、吾郎が加害車両に轢過されたのは別紙図面のaの地点であり、被害者の過失はないか又はあったとしても極めて小さいものであると主張しました。

(2) 原告らは、加害者らの右主張を争い、平成五年六月三〇日、加害者らを被告として損害賠償請求訴訟を東京地方裁判所に提起し、平成七年一二月二一日に前記本件民事判決が下され、右判決はすでに確定しています。

(3) 右損害賠償請求訴訟においては、加害者らは、市川警察署員作成の交通事故現場見取図や検察官作成の起訴状をもとに被害者吾郎の過失を主張しました。

原告らは、右交通事故現場見取図や起訴状の誤った事実認定を争い、本件交通事故の目撃者である藁谷邦彦や市川警察署員江口雅海らの証人尋問を行い、又、訴外藤岡弘美作成の鑑定書を裁判所に提出し、前記本件民事判決記載のとおりの事実認定を得、警察署及び検察官の誤った事実認定を覆すことができたのであります。

(4) 具体的損害について

① 原告らは、本件交通事故の態様を明らかにするため訴外藤岡弘美に鑑定書の作成を依頼し、右訴外人に鑑定料として金一〇〇万円を支払っています。

② 原告らは、被告らによる誤った事実認定を覆すために本件民事訴訟を提起し、多大の労力と時間を費やしており、これは加害者らからの賠償金の支払をもっては償えない別個の損害であり、その額は少なくとも金四〇〇万円を下りません。

③ 原告らは、最愛の長男吾郎を本件交通事故で失くし、その後の警察官や検察官のずさんな誤った捜査により吾郎が道路のセンターライン付近で亡くなったとの事実を認定され、無謀な被害者として取り扱われ、しかも右事実認定を前提として庄司に対する罰金五〇万円という極めて軽微な略式命令に対しても何等の不服も申し立てられず、親として無念さ、くやしさは本来筆舌に尽くし難いものがあり、これは加害者らからの損害賠償金の支払をもっては償えない別個の精神的苦痛であり、その額は金五〇〇万円を下ることは決してありません。

(5) 相当因果関係について

① 警察官や検察官は、本来適正に捜査をし正確な事実認定をもとに刑事事件を立件すべき義務が存することは明らかであります。

本件交通事故においては、警察官である宮内、安藤、江口、及び、検察官羽良は、適正に捜査権を行使して藁谷証言等により別紙図面aの地点において、吾郎が加害車両によって轢過されたとの事実認定を容易にできたはずであります。にも拘らず、右警察官及び検察官は、吾郎が加害車両によって轢過された地点を別紙図面の×と誤った事実認定をし、これに基づいて交通事故現場見取図に誤った記載を為し、且つ、起訴状においても誤った事実を記載したものであります。

② 交通事故の損害賠償請求事案においては、警察及び検察庁において取り調べられ且つ事実認定されている事実、特に交通事故現場見取図及び検察官の起訴状の公訴事実の記載は、極めて重要な証拠と言えます。これらの証拠書類は、客観性の高いものとして交通事故態様を明らかにする決定的ともいえる証拠として各種機関で取り扱われ、その内容について争うことは極めて困難なものであります。

原告らは、右警察官及び右検察官の右のような誤った事実認定を覆すために本件民事訴訟を提起し、且つ、訴外藤岡弘美へ鑑定書の作成を依頼し又原告ら自ら事実を調査するために多大な日時及び労力を要しているものであり、それらは鑑定書作成費用として金一〇〇万円、調査による調査費用として金四〇〇万円、そして原告らの前記精神的苦痛は金五〇〇万円、以上合計金一、〇〇〇万円の損害を被ったのであります。

③右の如く、右警察官及び右検察官作成の証拠は極めて重要なものであるため、もしも右警察官及び右検察官における前記の如く誤った事実認定がなければ本件事故における過失割合についての争いもなく、原告らが右の如き損害を被ることもなかったことは明らかなところであります。

従って、右警察官及び右検察官の前記誤った事実認定のために原告らは本件民事訴訟を提起し、右の如く損害を被ったものであり、右警察官及び右検察官の不法行為と原告らの損害との間には明白なる相当因果関係が存するものであります。

四、結論

よって、原告らは、被告らに対し、国家賠償法第一条第一項の規定に基づき、原告らが被った金一、〇〇〇万円及びこれに対する被告らの右不法行為の行われた日以降である本訴状送達の日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴を提起するに至った次第であります。

別紙交通事故現場見取図〈省略〉

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